やさしさの罠
「優しくしたい」「力になりたい」。そう思って誰かの悩みや痛みに寄り添っていたはずなのに、気づけば心が重たくなって、自分の生活が乱れてしまっていた…。そんな経験はありませんか?それは、共感と「境界」が混ざってしまった状態かもしれません。
共感と「背負いすぎ」の違い
人の痛みを理解しようとすることは、美しい心の働きです。でもそれが「あなたの問題は、私の問題」になってしまうと、自分自身が消耗し、相手も本来の力を失ってしまいます。ここで大切になるのが、「共感」と「共依存(=自分を犠牲にしてまで関わること)」のちがいです。
信じることは、委ねること
あるとき、こんな言葉に出会いました。「相手を信じることは、私が背負うことではない」。この言葉が教えてくれたのは、「助ける」より「信じる」ことの方が、深い優しさであるということでした。
誰かを「信じる」って、その人が自分の人生を切り開く力を持っていると認めること。そこには「手放し」や「待つ」ことも含まれます。
練習していること:共感の“境界”を持つ
私は最近、こんなふうに自分の中で練習しています。
- 「私はあなたを信頼しています。でも、あなたの問題はあなたのものです」
- 「私はここにいる。でも、あなたの人生の責任までは引き受けません」
- 「私は共感はするけれど、解決しようとはしない」
これは冷たい言葉ではなく、相手の力を信じているからこそ、境界をもって接する勇気の言葉です。
境界を持つことは、優しさのかたち
境界は、線を引くことではなく、自分も、相手も尊重する選択。それは決して突き放すことではありません。むしろ、自分を大切にしながら、相手の力も信じることができたとき、人との関係はより自由で、深くなっていくように思います。
優しさのアップデート
「相手を信じることは、私が背負うことではない」この言葉を思い出すことで、私は「優しさのかたち」を少しずつアップデートしています。
やさしくありたいあなたへ、
まずは自分を疲れさせない優しさから始めてみませんか?
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